8 アナヒタ教育相、大いに語る
――まず第1に1978年の4月革命とその現段階における最も重要な課題は何でしょうか。アナヒタ それはきわめて明瞭です。4月革命の最も重要な課題は、いうまでもなく権力の獲得でした。反動的で封建的な、買弁的で部族支配的な体制を打ち倒して、労働者階級、貧農・全民主的愛国勢力の代表である人民民主党が権力を握ることでした。
この課題をわたしたちは2年前の1978年4月、革命を支持するこの国の大多数の人民とともに首尾よく実現することができました。もちろん、この過程でわたしたちは多くの犠牲を強いられました。4月革命のあと権力を握った革命評議会とそのもとにつくられた革命政府は、新社会建設の青写真を練り上げ、人民のもとに届けました。
革命の新しい段階がきりひらかれたのです。革命評議会、革命政府、アフガニスタン人民の協働の事業が始まりました。このまさに後進的なわが国において! ところがアフガニスタン人民の90%以上は教育を受けたことのない人びとです。4月革命以前、人びとはそんなにもひどい専制政治のもとで長い間生きてこなければならなかったのです。しかし4月革命は、人びとにかれらが置かれている状況がどんなにひどいものであるかを自覚させました。同時にかれらは、かれら自身と子供たちの幸福を自分たちのものにできるのだということを自覚しました。
革命評議会と革命政府と党は、この計画を実行するにあたって、人民の手助けと協力をうるため、人びとに訴え、働きかけました。しかし不幸にも、わたしたちの党と政府の中にはCIAへの奉仕者がいたのです。そのためわたしたちは計画の現実性ある実行を妨げられました。かれらは人民の名によって人民を裏切り、社会主義の名のもとに社会主義を裏切る行為を客観的に果たしたのです。しかも、われわれの偉大な兄弟国であるソ連の援助をねじまげて利用しました。かれらの政策実行は非現実的なもので人民を誤った方向へ導くものでした。かれらは人民と党・革命評議会・革命政府・ソ連との間にギャップを作ろうとしたのです。
わが国の歴吏において、1919年の独立以前においてさえ、ソ連はわが国を援助しており、それが今日まで続いているのです。とくに、あの偉大なレーニンは、すでに早くからアフガニスタンに言及していました。彼はそこで「あたた方はアフガニスタンが独立したムスレム国家となるべき立場に立たなければならない」と指摘したのです。
大10月革命のあと、この革命の影響のもとで、1919年にアフガニスタンは独立をかちえました。ソ連はどこよりも早くわが国の独立を承認し、今日まで援助をつづけてきました。あなたもご覧になったでしょうが、この国にはソ連の援助を受けていないものはないのです。学校から幼稚園まで、製パン工場から総合技術学校まで、道路からホテルまで、専門学校から総合大学まで、工場の建物、産業、ガス採掘、鉄、それはすべての分野に及んでいますし、それはまた偉大なソ連の役割でもあったのです。あなたもご存知のようにアフガン人民も知っており、ソ連の援助がすばらしいものだと思っているのです。
しかし、アミンは彼が権力を握ったときから、人民を逆の観点に導こうとしたのです。4月革命の課題をわたしたちがはたそうとしはじめた、まさにそのとき、わたしたちは不幸にも、党・革命評議会・政府のなかにまぎれこんだCIAへの奉仕者の存在によって苦い失敗をなめざるをえず、痛々しい犠牲を払わざるをえなかったのです。
というのは、彼は少なくみても100万人におよぶ人民の生命を奪うか、拷問のもとに置いたのです。党の要員だけでも2000人近くが虐殺されました。そのほかにも党員でない無実の人民や作家や、芸術家、良心的な宗教者がたくさん殺されました。
しかし、4月革命の第2段階をへて、わたしたちは革命の新しい段階を成功裏に進みつつあります。現在では革命評議会と党中央委員会の圧倒的多数の団結とソ連の支援のもとに、アフガニスタンの外部からの侵略行為をはねのけながら革命の新しい段階が進められているのです。もし現在、ソ連の援助がなかったならば、アフガニスタン民主共和国は地図の上からその姿を消していたでしょうし、アジアにおいて最初の、第2のチリになっていたでしょう。
現在わたしたちは、アミン時代の非常に痛ましい負の遺産を克服しようとしています。わたしたちは落胆していません。わたしたちは楽天主義者です。アフガニスタン人民とわれわれの武装勢力、すべての社会主義国、全世界の民族民主勢力、全世界の兄弟党、なかでも最も重要なわれわれの兄弟党ソ連などの支援と協力のもとにわたしたちは前進を続ける決意です。
――革命前と革命後の教育政策のちがい、それぞれの特徴点、また教育政策と授業方法における現在の緊急課題について教えてください。
アナヒタ いうまでもなくわたしたちが、革命前に構想していた教育政策を実行に移せたのは、権力を獲得してからです。
四月革命の直後、わたしたちの党の一部のものは、すべてを性急に進めようとしました。しかし人民はこれを受け入れませんでした。なぜならわたしたちが直面したのは90%以上の教育を受けたことのない人民、そしてこのような状態を生みだした封建的部族的支配体制と経済体制でした。このような体制のもとでは人民は自分自身を解放することができません。わたしたちは人民とともに進まねばなりません。かれらとともに目覚め、党のプログラムにむけてかれらの注意をひき、かれらの信頼をかちえなければなりません。
あなたは封建的で部族支配的な体制、経済を知ってますか。そこではごく少数の支配階級の子弟しか教育はうけられなかったのです。わが国の過去の教育制度は支配階級にのみ奉仕するものでした。わが国―それは遅れた農業国ですが―の大多数は教育をうけようにもそれができなかったのです。したがって抑圧された階級―労働者、貧農、遊牧民、小商人などの子供は、5、6歳のころから、畑や工場や路上で両親とともに働かねばなりませんでした。たった5つや6つでですよ! しかし、4月革命ののち、7歳になった子供たちすべてに学校教育の門が開かれました。しかし、ここでも、わたしたちが望むような具体的な政策が行なわれたわけではありませんでした。というのは非現実的な政策―伝統と文化と習慣、とりわけ人民の信教の自由と信条の自由が犯されたのです。
したがって、革命の第2段階にいたった現在、子供の教育分野では、学校に行きはじめる7歳の子供すべてが教育をうけられるようあらゆる手段を講じ、可能性をうみだす任務がわたしたちにはあります。すべての子供が学校に行き、かれらの母語―パシュトゥーン語、タジク語、ウズベク語、トルクメン語、バルーチ語で教育を受けられるようにしなければなりません。母語でこそ最もよく教育されうるものです。わたしたちは、このようにして革命の新段階においてさまざまな問題を解決しようとつとめています。
その際問題になるもののひとつに、教育者(訓練された教師)の不足があります。わたしたちは必要とされる教師のたった0.1%しかもっていません。したがって教師の養成は最緊急課題のひとつであり、わたしたちはいま、教員養成のための施設建設を急いでいます。わたしたちは、教師になろうとする人びとに長期ならびに短期の奨学金を与える一方で、教員養成施設を友好諸国が援助してくれるよう訴えています。
教育分野では、子供の教育と並んで教育を受けたことのない成人の教育問題があります。
わたしたちはアフガニスタンから無学・文盲を一掃する計画を立てました。この計画は国民的課題と呼ばれています。したがってわたしたちは、この課題のために、すべての民族的進歩的勢力、全知識人、全党員、青年組織や婦人組織、武装組織、労働組合、宗教組織などの全大衆組織を動員しています。これらの組織員は、人民のもとに行き、人民に語りかけ、人民とともに働き、人民とともに寝、われわれが人民になにを求めているのかを人民に納得させる活動をしています。これは人民自身の利益となるものですが、とても難しい仕事です。とくに女性の間でそれは難しい。女性―これは人類の半分を占めるのですが―の間での教育を受けたことのない人の比率は98%にものぼります。何らかの教育を受けたことのある女性はたった2%にすぎません。したがって、この課題を遂行してい くためわたしたちは、現代化のための網の目のように組まれた長期的プログラムを作りました。それは幼稚園、学校、専門学校、大学の建設からはじまっています。
幼稚園があれば、女性は無学・文盲者のコースを受講しながら、同時に子供を幼稚園にあずけられます。と同時にわれわれはまた、彼女らに子供の世話のしかたを教えられます。なぜこのようなところから出発しなければならないのか。それはわが国では女性は、今はまだ、男と家庭の、また父と兄弟の、なかんずく夫の財産でしかないからです。
このような状態を放置したまま、アミンの時代にかれらは猛烈な勢いで反人民的た政策を推進しました。かれらは教育を受けていない成人、なかでも特にこのような困難な状態に放置されていた女性を強制的に教育コースに参加させました。だから、ひどい状態が発生しました。たとえば意識の低い夫は妻が教育コースに参加するのを好まなかったのですが、それは政府の命令に反することになります。だから妻を家庭に引き戻した夫は投獄されて殺されるというひどい状態が発生したのです。このような事件があまりにもしばしば繰り返されたのです。したがって人民は、党と革命評議会と革命政府を憎むようになりました。
しかし今、わたしたちは、別の方法、異なる方法を採用しています。わたしたちはこの問題に現実的に対処しています。これがアフガニスタンから無学・文盲を消滅させるのにわたしたちが8年から10年かける計画を立てた理由です。この計画は基礎的な経済建設と変革の仕事と並行して構想されています。わたしたちは、女性向けの教育コース、特に任意参加のそれを設置しました。それと同時にわたしたちは、男性に対してかれらを説得する活動をはじめています。
――ことしは国連の婦人解放のための10年の中間年にあたっています。婦人解放に向けて関心が高まっていますが、革命運動の先頭にたって活動しておられるあなたの存在は世界中の婦人を勇気づけるだろうと思います。そこであなたはいつ、どのように、なぜ革命運動にはいり、どのように活動されたか簡単にお聞かせ下さい。
アナヒタ わたしは、革命的な父の子として1931年に生まれました。王制時代に父は革命的活動の咎で王の家族によって殺されました。だからわたしの家族はひどい生活状態のもとにおかれざるをえなかったのです。
わたしは16歳に少し足らないとき母の意志で結婚させられました。しかしこのときに、わたしは、バブラク・カルマル同志と知りあったのです、なぜなら彼はわたしの夫の親戚だったのです。バブラク・カルマルは、わたしにいろんなことを、わたしの父についてさえ語ってくれました。まったくのところ、わたしは父から革命的な遺産をひきついでいたのです。それで非常に若かったにもかかわらず、わたしは彼の話をとてもよく理解することができました。
わたしの最初の先生がバブラク・カルマルだったのです。そのとき彼は大学を終え学位をとったばかりでした。彼はマルクス=レーニン主義についてわたしたちを教育しました。彼は若いときから、彼の周囲にいくつものサークルを持っていました。それはわが国における最初のマルクス=レーニン主義のサークルでした。彼はわたしたちに、マルクスやレーニンの革命的な仕事、そのほか大10月革命以前のあらゆる革命的な思想と歴史について話しました。サークルでの活動を手はじめにわたしは、16歳のときから一歩一歩革命にむけて歩みはじめたのです、
そのような活動によってわたしは、アフガニスタンの数多くの受難の事実を知り、アナヒタ個人のみが受難のなかに置かれているのではないのだということを知るようになりました。この国のきわめて大多数の人々がこの国の専制政治によって苦しめられていることを学びました。このときから、わたしは、わたし個人のための生き方ではなく、この国の状態を変える闘いの道を選ぼうと決心したのです。
1965年、わが国に国会が設立され、党が結成され、最初の選挙で議員に選ばれてから、わたしはバブラク・カルマルやヌール・モハマド・ヌールらとともに党を代表する立場におかれました。かれらもまた国会議員に選ばれたのです。わたしはこのとき、同時に、党中央委員会の一員にも選ばれました。それから5年後に党政治局員となり、党が統一され権力を獲得したときにふたたび党中央委員会、革命評議会のメンバーとなり、公共事業相になりました。これが、大使としてユーゴスラヴィアに出され、地下活動を経て4月革命の第2段階をむかえるまでの経過です。
――日本の労働者階級、および婦人に何を望むか、あたたのご意見をお聞きしたい。
アナヒタ まず最初に、帝国主義との長い闘いの伝統をもつ日本のみなさんに、わたしの心からの挨拶を伝えて下さい。全世界の労働者は、抑圧された働く人々を解放する崇高な使命をもっています。日本の労働者もまた、帝国主義とブルジョワ階級と大独占にたいするすばらしく、かつ喜ばしい闘いの歴史をもっています。われわれ、革命アフガニスタンの人民は、日本の労働者が全世界の民族解放、民主主義、進歩の勢力とともに人類の共通の敵との闘いで勝利を収められることを期待しています。わたしたちは、最も輝かしい人間性を獲得する闘いの道において、常にあなたがたとともにいます。そして、そのような闘いによって、あなたがたは資本主義と反動勢力を打倒し国の真の指導勢力である労働者階級と農民の権力をうちたてられることでしょう。
わたしは、あたたがたとの共同の闘いにおいて、勝利はわれわれの側にあると確信しています。
わたしたちは、まさにいま、新しい革命アフガニスタンの建設にとりかかっています。この革命の過程でわたしたちは、全世界のすべての進歩勢力の援助、とりわけわたしたちの偉大な兄弟であるソ連から限りなく大きな援助を受けています。ソ連は、わたしたちだけを援助しているのではなく、全世界の民族民主主義の立場に立ち独立と自由のために闘っているすべての勢力と国家を支援しています。わたしたちは、このようなソ連とかくも近くで生きていることを誇りに思います。
つぎに、わたしのすばらしい姉妹である日本の女性たちに、もしあなたがたが独裁政治と女性にたいする差別待遇を取り除こうと願うなら、進歩的な党と勢力に加わり闘われるように期待しています。このような隊列に加わり、また団結し、互いの力を強めるようにしましょう。わたしたちが世界の解放にとって偉大な勢力であることをかたときも忘れないようにしましょう。全世界の女性は、いうまでもなく偉大な勢力です。女性が革命の道に足を踏みいれるとき、それは巨大な影響を男性に与えるでしょう。これまでの歴史において、あらゆる革命が女性を必要としてきました。女性が革命に参加してこないかぎり、プロレタリアの勝利はありえないからです。なぜならこの革命の道において女性もまた階級意識を必要とするからです。
わたしたちは、現代の最も深刻な問題につねに注意を払いましょう。つまり民族民主主義と進歩の立場にたつ政府は、みじめな少数者を救済するだけでなく、全世界の大多数の人民の労働と生活にとっても必要であるということです。
わたしたちは、わたしたちの次の世代の幸福のためにいますぐ活動をはじめましょう。わたしたちアフガニスタンの女性は、つねにあなたがたとともにあり、手に手をとりあってあなたがたとともに闘います。
権利は与えられるものでなく、闘いとるものであることを肝に銘じておきましょう。もし偉大な勢力であるわたしたち女性が、革命の道に足を踏みいれれば、世界は必ず変わります。爆音と戦雲のないすばらしい幸福な世界をともに築きましょう。どこまでも輝かしい地球、かぎりなく幸せな子供たちのために、ともに力を合わせましょう。広島の惨劇を、そしてだれがそのような戦争を望んでいるかを忘れないようにしましょう。そして、だれがわたしたちの共通の友であり、だれがわたしたちの共通の敵であるかをいつも明確にさせておきましょう。
もし、母であり労働者であり市民であるわたしたち女性がそれを望むならば、わたしたちは必ずや世界を変革できるでしょう。
わたしは最も強い親愛の情をもってあなたがたとともにおり、あなたがたの成功を祈っています。