私の父は84歳、芦屋にて老朽木造家屋に一人住いをしておりました。これはさる事情から、震災発生後1週間ほど経ってからノコノコと現地を訪れた中年男のレポートです。
家屋の被災状況は凄まじく、近隣の20棟程を考えても、全半壊が15棟。中には一見、2階部分は大丈夫でも1階が腰砕けで隣家に寄りかかっている家もありました。また全壊家屋のなかには道路に崩れ出して、交通を遮断している家屋もありましたが、この辺りの後始末はきっと個人では無理でしょう。
父の家は全壊のなかのひとつ。2階部分が完全に崩れ落ち、1階だけはなんとか形を留めていました。
地震があった時間はまだ暗く、本人は事の重大さに気付くのが相当遅れたようです。寝起きする8畳の間では茶ダンスが倒れ、「これはかなりな地震じゃわい」程度には思ったのでしょう。周囲の状況などを確かめもせず、まず隣家に安否を尋ねに行き、外に出てようやく事態の深刻さに気付いたらしいのです。そこで初めて奥の部屋や台所の様子などを確かめ、自分が奇蹟的に命拾いしたことを意識したのです。奥の間で寝ていたら、重量級の洋服タンスや落下物の下敷きとなりペシャンコだったのです。
倒壊家屋を放置すると危険なことと、このような物品の搬出事情から両家は同時解体になりました。私はその作業の手伝いにやってきたのです。
解体が始まると、壁板や木材で足場ができたので2階部分に上りました。写真等でお見せできないので説明が面倒ですが、天井がどすんと落下し、外壁がそれぞれ外側に崩れ、下から見上げると2階はどこかに消えてしまったのです。裏と表の庭にそれぞれ壁や板、若干の家具そして廊下においてあった本棚から崩れ落ちた本などが散乱しています。直径20cm以上ある太い梁が落ちているので大方の家具は再起不能。わずかにソファと黒檀のテーブルが残り、その近辺にあったものはすき間で生きていました。奇蹟的な生還物を挙げると、まずオーディオセット。これも背が低いがっっちりしたケースに入っていました。次は運良く緩衝の地に落ちた父のお気に入りの絵、そして箱と箱の間にはさまっていた小物程度でした。
物について語れば危険をどれだけ犯すかで回収率はかなり異なったと思います。あれが残せたのにとか、もう少し時間をかければとか人間の物欲には切りがありません。
2階をみて本当にぞっとしたのは、物ではなくやはりわが身との関りでした。
実は、ほんの2週間前に正月で帰省した私達家族がここで寝泊りしたのです。私達は、堅牢であったソファに足を向け、落下物だらけの方向に頭を並べて寝ていました。あのときに地震に会えば、チビさんなど、ひとたまりもなく圧死していたでしょう。私も庭先にずりおちて柱や瓦の下に生き埋めとなっていたかも知れません。さらに思い出せば、町田に住む叔父も、なんと5日前に父を尋ね、夕食をともにしたではありませんか。確か地震を予知できる時間スケールは数百年とか。その単位の中では2週間などゴミ同然の誤差です。私と私の家族、そして叔父は、自然の営みを支配する時間軸ではほんの一瞬の差で命拾いをしました。きっと何かに感謝しなければいけない、そんな敬虔な気持ちを抱かざるを得ないのです。
とにかく、こうして芦屋の家はなくなってしまったのです。来年は帰省しようにも帰るところはありません。消えてしまったのは家という物だけではありません。おやじを囲んで兄弟や従姉妹が集まる場所も消えてしまったのです。
このように、私の場合、幸いにも亡くなった人を嘆き悲しむ光景に会うこと無く過ごすことができました。後日改めて考え直してみますと、私自身が震災の悲劇を直接味わったのはやはり地震当日だったようです。
朝7時のニュースをみて、すぐに父と宝塚に住む兄の家に電話を掛けました。このときは市外回線は満杯ではなく、芦屋と宝塚のローカル回線がツーツー音でした。同時に2軒通じない、これはひょっとして、とただならぬ事態を感じ取ったのです。しかも次々と更新される状況を見るにつれ、どうしても出社できなくなりました。
9時、10時と時間が経つにつれ神戸の被害が詳しく報道され、昼ごろに西宮や芦屋に報道が及ぶと、胸騒ぎというか、悲観的な思いがだんだんと募ってゆくのが自分でも分かりました。なぜか、あのクソ親父、皆に迷惑ばかりかけて。はやくくたばっちまえ、と日頃はけなしていた対象に、涙が浮かぶのです。情けなや。とりみだす、とはこういうことの延長でしょうか、いやそのものだったようです。「あなたが取り乱しても何も好転しないのよ」と女房に諭された記憶が残っています。
夕方5時過ぎに兄の次男から電話があったときには嬉しさの一方、安堵で緊張した心が解放され、へたばってしまったのです。
当時、報道雑誌を開き、避難所とする公園の地べたに布団を敷いている被災者の親子の写真が飛び込んできたのを覚えています。あれも事実、私の場合も事実。当り前ですが十把ひとからげには出来ない個々のケースがあるんだな、が実感です。震災の前はいじめが話題になっていたようですが、今は別事件で震災はもうすっかり風化しているようです。なぜか評論家のしたり顔や報道の画一さがテーマを変え脳裏で2重写しになりました。