今朝(2000年1月16日)の日経新聞1面コラム「春秋」に私の意を強くする文章が出たので、つい、「グローバルスタンダード」ということについて雑感を述べてみたくなりました。少々長くなりますが興味ある人はおつきあいください。
関心は、21世紀はいつから始まるか、というナゾナゾのような問題です。
その日経1面のコラムは次のように述べています。
「学術的な定義では、世紀は西暦の下2ケタが01の年に始まる。西暦0年は存在せず、紀元の年は1年だからだ。一方で、バチカンは2000年から第3の千年紀が始まるとし、21世紀の初年もこれにあわせる。教科書的定義より1年早いが、ミレニアウム祝賀に合わせて今年から新世紀という意識が、世界では一般に広く浸透している。英フィナンシャル・タイムズの元日付け1面の記事の書き出しは、「世界は昨日、20世紀に別れを告げた」だった。年末・年始には、2000年から21世紀という前提の各国首脳の演説も相次いだ」
手前味噌ですが、私は何年も前から21世紀はミレニアム初年の2000年からになるよ、と言いつづけていたので溜飲が下がる思いでした。ちなみに、ことしの新年のEメール挨拶では、「20世紀が終わり新しい世紀の夜明けです」と書かせてもらいました。
さらに同コラムは次のように続けています。
「新千年紀祝賀と新世紀を切り離し、新しい世紀は来年から――日本によくある解釈については理解に苦しむという外国の人が多い」
日経さん!「外国」「外国人」と書いていますが、具体的にはそのほとんどはキリスト教国(人)ではないですか? 日経さんだけでなく、日本のマスコミは、こぞって今年が20世紀の最後の年、21世紀は来年から始まる、という前提で書いたりしゃべったりしています。
私に言わせれば、これこそ井の中の蛙、独りよがりの発想です。
相変わらず「日本の常識は世界の常識」と思いこんでいる人が多いようです。こんなに「グローバルスタンダード」が叫ばれているのに。
「世紀」という概念は、キリスト教徒が決めた人為的なものであり、学術的な概念ではありません。グレゴリオ暦がキリスト教(教会)と完全に縁が切れれば別ですが、そうでない限り日本人にどうこうできるものではありません。そうでない限り「世紀」を使う以上、ご本尊がどう言うかを見て使うしかありません、残念ですけど。
一般的に、グローバルスタンダードというものは中立・公正な基準ではなく、それを決めたり、変えたりする集団が存在する、ということだと思います。(日本人もその蚊帳の外にいるのでなく、その中に入らなければいけない、という問題だと思います)
グローバルスタンダードが「21世紀の初年は2000年」ということになると、
10年紀(ティーンズ)は0年〜9年
100年紀(センチュリー)は00年〜99年
1000年紀(ミレニアウム)は000年〜999年
とすべてがきれいに揃い、コンピュータプログラムを組む場合の頭の痛い年代設定の矛盾がひとつ減ることになります。ぜひそうなって欲しいものです。
(「世紀」の問題については、キリスト教国であるフランスの著名な国際的写真家であるアンリ・ブレッソン氏はもっと過激でした。彼は去年の年末、NHKのブレッソン特集番組の中で「世紀末というがそれはキリスト教の暦の上だけの問題だ。ミレニアムといっても教会が決めただけであって人間の生活には何の関係もない」と喝破していました。)
